私の好きな児童文学『あしながおじさん』《読書感想文》

■子育てと暮らし

素敵な読書時間が持てた時、本当に充実した時間が過ごせた気がします。
いろんな本を読むけれど、未だに児童文学も好きです。

今日は私の大好きな児童文学「あしながおじんさん」をご紹介。

「あしながおじさん」
私は大人になってから読んだのですが、学生時代に出会ってたらなぁ、と思う本です。

孤児院で育った主人公のジュディが、とある裕福な紳士から大学に行く支援を得て、作家を目指していきます。

支援を受けるにあたって、条件はひとつ。
その男性に毎月手紙を書くこと。

ジュディは見ず知らずの、名前も知らない親切な男性に「あしながおじさん」と勝手に名前をつけて手紙を書き続けます・・・

勉強の楽しさ、学ぶ喜びを再確認させてくれる本。
ユーモアとウィットに富んだジュディによる手紙(の形式)だけで物語は進んでいきます。

最初でこそ、「おじさまは、はげ頭ですか?」と聞くような、お茶目でちょっと危うい少女だった主人公のジュディが、

まるでスポンジのようにたくさんのことを吸収して、
やがて、
聡明で成熟した女性に成長していく姿。

その過程がすごく心に残るのです。

それまで孤児院から出たことのなかった少女が見るもの聞くものすべてを吸収していく。

ついには勉学でも優秀な成績をおさめ、奨学金をもらえることになったので、途中からあしながおじさんの支援を辞退します。

気持ちいいくらい勉強に励む姿。

(この姿を頭に焼き付けていたら、学生時代がちょっと違ったんじゃないかと思うくらい。)

さらには、夢だった、作家になって収入を得ていくところまで話は続きます。

このジュディの「成長」には目をみはるものがあります。

だけど私が感動するのは、ジュディが「成熟」していく姿です。

勉強ももちろん大事だし、夢を叶えることも素晴らしい努力の結晶ですけど、
それ以外の「遊び」の部分で、大きく大きく、変化していきます。

最初は大嫌いな友達がいたり、
そもそも孤児院で育った友達がいないから、まわりの話についていけなっかたり、
その友達たちの家庭環境を知り、
「家族がいない」という自分の運命みたいなものに卑屈になったり傷ついたり。

その間で、
ジュディ自身が自分の嫌悪していた過去を受容し、孤児院での経験があったからこそ今の自分がいる、というところまで昇華させていく。

また、哲学を学び、社会を学びどういう信条で生きていくのか、ということをしっかり自分で決める。
どういう生き方をしたいのか。
自分の在り方について真摯に向き合う姿。

そして、恋をする。

孤児院ではほとんど男性と話すことなく過ごしたジュディが、恋をしていく姿も可愛いんです。

とある男性(友達の叔父)と1日過ごした翌日には、まったく知らないところにえくぼが出来ているのに気づく。(いつもと違う表情をしていたジュディが目に浮かびます)

また、とある男性(友達の兄)と過ごした日には、作家になるために支援してもらってる自分が、普通の女の子のようになったらあしながおじさんはどう思うか、と心配する。(普通の女の子になりたい、と思う女の子の気持ちですよね)

なにが可愛いって、恋をしているという自覚がまるでないことです。
最初は。

(二人の男性が出てきましが、最後どうなるかは読んでみてほしいです)

そうしてとうとう最後、大きな大きな愛を知る。

自分よりも大事な存在ができることの、豊かさと切なさを経験する。

愛って、嬉しい楽しいだけじゃない。相手の身になにかあったら、という不安や苦しみさえも含む。
それまで、なにも怖いものがなかったジュディに、
「幸せなさびしさ」が訪れる。

・・・

ハッピーエンドなので、見方によってはシンデレラストーリー的な要素があるのかもしれませんが、私は、ジュディが経験した、全ての過程、生き方に勇気がもらえる本でした。

もう大人になってしまったけど、この本を読んで思うことは、

自己成長も大事だけど、どんなときでも
人間として成熟することがとても大事なんだ、と。

専門性を高める学びだけじゃなくて、
余暇の過ごし方とか、自分との向き合い方とか、
例えば傷があるなら癒していくこととか一番大切な愛を知る、とか

そういう過程がいかに大事か、ということ。

人生で大事なことがぎゅっと詰まったような本でした。

いやはや、児童文学って本当にあなどれないです。


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